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2010年9月 9日 (木)

検面調書至上主義の闇。

 台風が通り過ぎたら、すっかり秋の風。ちょいと湿気はあるものの、なんとまあ涼しいこと。このまま秋になだれ込み、なんてことはないにしても、これで暑さも峠を越してくれればいいのだが・・・。

 ムネリン鈴木君の上告が最高裁で棄却された。異議申し立てはするようだが、ま、認められることはほぼ絶望的だろうから、収監されておよそ2年の懲役となりそうだ。ムネリン鈴木君の関わったとされる汚職事件が表面化した時には、とうとうやられたか。金まみれのムネリンだろうから、これも当然と思っていた。ましてや、外務省に深く食い込んでる実態や、外務省のラスプーチンと称された佐藤優君や「ムネオハウス」なんてものまで出てきた日には、逮捕は当然、検察もよくやった・・・なんて快哉をあげたものだ。

 でも、ムネリン鈴木君が強行に無罪を主張するなか、汚職事件の経緯を見ていくといまひとつ釈然としない思いが募ってきた。なぜなら、確たる証拠らしきものがないんですね、これが。すべては贈賄したとされる側の供述調書のみ。つまり、検面調書というやつを根拠に事件が組み立てられている。これって、明日判決が出る郵便不正事件と同じ構図であって、この検面調書至上主義が冤罪を生んできた元凶であるということがわかってくると、どうもムネリン鈴木君の汚職事件も実際のところはわからんぞと思えてきたのだった。

 西松建設事件だって、石川君や大久保君が検察のストーリー通りの供述してたら、小沢君逮捕ということもあったんだからね。結局、供述がとれなかったことが、検察の思惑通りに事が運ばなかった原因であって、郵便不正事件もまったく同じ。つまり、証拠よりも供述を優先した強引な捜査が、失態を招いたってこと。

 そもそも、このテの汚職事件で懲役2年という判決は、執行猶予付きでもおかしくないのだ。執行猶予が付かなかったのは、頑強に無罪を主張し、反省の色を見せなかったからとも噂されている。他人がなんと言おうと自らの信念で無罪を主張したら、そりゃ反省の色なんか見せませんて。

 それはともかく、おそらくムネリン鈴木君は収監されるのだろうが、昨日の検察審査会の議決日程といい、このムネリン鈴木君の上告棄却といい、なぜこのタイミングってのは、どうしても思ってしまう。どうしたって民主党代表戦との関係、特に小沢君への牽制ってのは疑いたくなるのが人情というもの。一説には、明日の郵便不正で無罪が出そうなので、地検特捜部の面子のためにもムネリンの有罪を確定したかったなんて憶測も飛んでいる。さらに、昨日は、小沢君の記者会見があったんだよね。ムネリンの件がなければ、おそらく一面トっプはこちらでしょ。皇室や靖国問題など、けっこう踏み込んだ発言してだんだよな。

 確かなことなんて誰にもわからないけど、憶測が飛ぶだろうことへの配慮がないことが問題なのだ。痛くもない腹を探られるだろうことがわかっていて、敢えてこのタイミングというのは、よほどのKYか、そんなことは織り込み済みの居直りかのどちらかだ。おそらく、後者なんだろうけどね・・・。陰謀説には与したくはないんだけど、あまりにも出来すぎてると感じるのは果たしてくろねこだけであろうか。

 大相撲がまたやってくれた。スイーツ親方の芝田山が暴力行為で書類送検されるらしい。躾という名のもとに殴る蹴るしたあげく、クビにしたってんだから、これが本当なら書類送検だけじゃすまないと思うけどね。スイーツ親方も指導はスイートじゃなかったってことか。ところで、暴行を受けたモンゴル人力士の弁護人が、行列のできる弁護士の丸山君なんだけど、参議院議員しながらそんな暇あるのかね。それとも、よほど暇なのかしらん、参議院議員って。老婆心ながら、心配してみた次第。

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