« さあ、法廷闘争だ! | トップページ | 命の危険があるから匿名だそうです。 »

2010年10月 6日 (水)

「市民感情」ってなんぞや?

 今週の週刊ポストの巻頭・巻末のカラーページは、『懐かしの昭和の「エロス雑誌」大全」』。「あのころはみんな元気でスケベだった」というキャッチはちょいと恥ずかしいが、この特集で「古本くろねこ堂」が出てきます。戦後すぐのカストリ雑誌を扱っているオンラインの古書店ということで、ちよこっと紹介してくれている。実は、半月ほど前に週刊ポストの編集部から連絡があって、カストリ雑誌に関する特集を組みたいので「古本くろねこ堂」の目録にあるカストリ雑誌を購入したいという話だった。結局、資料が思いの他揃ったということで、その話はお流れになったのだが、せっかくだからというのでお店を紹介してくれたといわけだ。

 カストリ雑誌は、けっこう研究している大学の先生もいるようで、なかにはカストリ雑誌に掲載されている広告について研究している方が購入してくれたこともあった。活字に飢えていた終戦直後の日本にあって、エログロ満載のカストリ雑誌は大いに庶民の心を潤してくれた。そしてまた、猥褻とは何かを期せずして世に問うたその反骨精神には、現在も見習うべき点は多い。興味のある方は、「古本くろねこ堂」にアクセスしてみてください。

4_2

 さて、検察審査会の議決が出て、いろいろかまびすしい意見が飛び交っているけど、なぜ検察は記者会見なり開いて意見を述べないのだろう。昨日の昼のTVでヤメ検の若狭弁護士がそんな意見に対して、「そういう機会があればするんでしょうけど」みたいなことをバツが悪そうなひきつった笑顔でコメントしてたけど、「機会があれば」じゃなくて、意見を述べる義務があるんじゃないだろうか。

 なぜなら、検察審査会は検察の出した結論を審査するものであって、建前上は小沢君を糾弾しているわけではない。ま、議決文書を読むと糾弾そのものだけどね。それはともかく、司法記者クラブはどうして記者会見を要求しないのだろう。職務怠慢だと思う。今朝の朝日の朝刊は、「強制起訴に戸惑う法律家たち。長年、「参考意見」だった市民感情の逆襲は始まったばかりだ」と書いていたが、ならば大いに戸惑ってるはずの検察に意見を求めることがジャーナリズムとしての使命のはずだ。審査されたその当事者から意見を聞かずに、何のための検察審査会の報道なのだろう。

 ところで、メディアのお好きな「市民感情」ってやつだけど、これほどあやふやなものもまたないのだ。およそ健全な市民感情(そんなものがあればの話ではあるけれど)が育まれるためには、公平・中立なジャーナリズムの存在が不可欠なことは言うまでもない。しかし、小沢狂想曲をめぐる報道のあり方を見てくれば、到底、公平・中立なジャーナリズムが存在するとは思えない。厳密な根拠に基づいた冷静な議論こそが求められている時に、メディアはこぞって「市民感情」やらを煽っていたのはまぎれもない事実だ。そんなメディアが、「市民感情」を錦の御旗にして検察審査会の議決を無批判に受け入れること自体、片腹痛い。

 民主党代表戦の前に、大林宏検事総長が日本記者クラブでの講演で、「小沢氏を有罪とする証拠はない」と発言した時に、どれだけのメディアがそのことを報じただろう。残念ながら、ほとんどのメディアは、意図的に無視。つまり、メディアもまた、自らの「見立て」に邪魔な意見は、それが検事総長の言葉だとて報道しないということなんだよね。これって、公平・中立という以前に、ジャーナリズムとしての感性そのものが鈍磨しているとしか言いようがない。

 それにしても、「市民感覚」の逆襲、とは朝日も東スポなみになったということか。

 さらに、今朝の「天声人語」もひどかった。これがかつてはほとんどの大学が入試問題として採用したコラムかと思うと泣けてくる。書き出しが凄い。「起訴される小沢氏は涙した、と報じられた」ときたもんだ。これ、読売の記事だよね。こういう感情的で情緒を刺激するような原稿こそ批判されるべきなのに、スッカラ菅君と同じく抱きついちゃったんだね。 そして、「立つ瀬がないのが検察だ」「平均31歳の検察審査会に「有罪の可能性があるのに不当」とやられた」「幹部は(中略)やけのやんぱちである」とくる。つまり、若造にダメだしされて憤懣やるかたない検察って図を下卑た表現で説明してくれてるってわけ。それよりも、検察に記者会見開かせて意見を糺すのがジャーナリズムの役目だろうに、自分たちの職務怠慢は棚に上げての罵詈雑言。

 村木さんを引き合いに出して、「政治休職」するのが筋、といい募り、毎日も日経も読売も社説で辞めろって言ってるよときたひにゃ、まるで子供の喧嘩だ。誰それちゃんもいってたもん、ってのと一緒。

 こうしてみてくると、「起訴相当」という議決が出たことにこそ意味があるんだってことがわかる。つまり、この後の裁判なんかどうでもいいんだね。とりあえず「強制起訴」しちゃえば、結果はどうあれ起訴されたといことで責任論を煽ろうという寸法だ。自民党の証人喚問なんてのも同じ。ようするに、推定無罪も何もない。起訴されたら、それで終わりってこと。その危うさを真に理解していたら、この段階で議員辞職だなんだって声は出てこない。

 「間違ってはいけないのは、小沢氏の政策や政治手法に対する批判と、刑事責任を混同することです。起訴されたという事実をもって、その人の地位、身分に影響を与えるようなことがあってはいけないのです」、と週刊朝日の山口編集長はコラムで書いていたが、これこそ健全な意見であり、市民感覚だと思うけど・・・いかがでしょう。

|

« さあ、法廷闘争だ! | トップページ | 命の危険があるから匿名だそうです。 »

古本くろねこ堂」カテゴリの記事

小沢一郎」カテゴリの記事

検察 」カテゴリの記事

朝日新聞」カテゴリの記事

週刊朝日」カテゴリの記事

検察審査会」カテゴリの記事

古本」カテゴリの記事

コメント

スケベなのは人間の本性ですね。
学生時代学校の近くに有った古本屋さんは、壁に戦前の「教育勅語」を掲げているような、恐らく戦後の民主教育に批判的な”立派”な方だったのですが、そこにある本の殆どはエロ本でした。
政治的なスタンスは別として、尊敬出来る「スケベ親爺」だなあと思ったものでした。
そこを隠蔽してしまっては、人間の本質は分かりません。
古本くろねこ堂も、人間の本質を抉り出すという意味からすれば世の中に大きく貢献しているものと言えます。
抉り出したからどうなのだ、と言われれば、特にどうって事もないのですが。
ただ世の中の大半は、どうって事の無い事で構成されているのです。
殊更ご立派な事を大上段に振りかざすような意見には却って胡散臭いものを感じてしまいます。
と言うのも、自分がスケベで無定見な人間なのを自己弁護しているだけかもしれませんが・・・

投稿: こじ | 2010年10月 7日 (木) 10時00分

朝日夕刊の「真実を求める会」に関する記事もひどいものです。

シンポジウムの報告をお待ちしています^^

投稿: くろねこ | 2010年10月 6日 (水) 19時03分

今日の天声人語は本当にひどかったですね。村木さんの件を持ち出すなら、「ああいうこともあるんだから慎重にするべきだ」と結論づけなければならないはずなのに、「だから休職しろ」ではメチャクチャです。

ということで、いまは衆議院議員会館の鈴木宗男、佐藤優のシンポジウムの会場に来ています(笑)

投稿: kappaman | 2010年10月 6日 (水) 15時50分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「市民感情」ってなんぞや?:

« さあ、法廷闘争だ! | トップページ | 命の危険があるから匿名だそうです。 »