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2011年1月 9日 (日)

本を裁断してまで電子化するとはこれいかに。

 かつて、雑誌の編集部にいた頃は、原稿書きってのは夜中にやるものだと決まっていた。というより、陽のあるうちはどうもいまひとつ集中力がつかず、夜も更けてようやくエンジンがかかってくるという典型的な夜型の生活を送っていたせいかもしれない。それが次第に昼型に移行して、いまではすっかり朝型人間になってしまった。で、原稿書くのも午前中がもっとも効率がよく、午後になるとアンニュイな気分になって、夕方になるともう飲みに行くことばかり考えて原稿どころではなくなるのだ。

 時として、朝起き抜けに顔も洗わず原稿に向かう時があるのだが、これが驚異的なコンセントレーションを生み出すことがある。ほとんど迷うことなく筆が進み、朝食の頃には1200字くらいの原稿なら、2本くらい仕上がっていたりする。ま、こんなことはそうそうないのだが、今朝はそのまれな朝となったのだった。いつもならパソコンの前でうたたた寝する我が家のドラ猫を締め出し、仕事部屋のドアの前で入れてくれコールするのを無視して、朝日が差し込む寸前の時間に一心不乱に原稿書きにいそしんだおかげて、明日仕上げるはずのものが一日早く脱稿。その集中力に、まだまだ捨てたものじゃないと自画自賛の日曜の朝なのだった。

 さて、このところ何かと話題になる電子書籍だが、「自炊」と呼ばれる行為が問題になっている。「自炊」とは、本を自分で電子データ化することで、代行業者まであることは前から知ってはいた。本を裁断して、スキャナーにかけて電子化するわけだけど、裁断という行為がどうも痛々しくて、なんだかなあと思っていた。ま、蔵書の整理ってのはなかなか大変だし、電子化というのはその意味ではとても便利なものであるに違いない。でも、だからといって、蔵書を裁断してまで電子化しようなんて料簡は僕にはない。

 朝日の朝刊は、この「自炊」を取り上げて、著作権という観点から記事にしていた。確かに、「自炊」による書籍の電子化は個人が楽しむうえでは問題ない。しかし、ひとたびデータとなったからには、世界中に拡散させることは容易なわけで、当然著作権が絡んでくる。一時、雑誌のページを立ち読みするかわりに携帯で撮影することが問題になっていたが、なんでもかんでもコピペすりゃいいやって発想は安易にすぎるんじゃなかろうか。こんなことしてたら中国のなんちゃってミッキーを笑えないと思うけどね。

 書籍の電子化は確かに時代の流れではあるのだろうけど、本って単なるデータにしちゃいかんと思う今日この頃なのであった。

【くろねこの競馬予想】

京都ではシンザン記念。牡馬に混じって、2戦2勝のドナウブルーというディープインパクトの娘が出走してきた。今年の3歳牡馬に比べ、牝馬はかなりレベルが高いからここもあっさり勝ち上がって、レーヴデソールとともに3歳の牝馬路線の女王となれるか。馬券は、前走不利のあったアドマイヤサガスとの1点。

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