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2011年6月27日 (月)

命あっての物種とはよく言ったものだ。

 庭の紫陽花が今年はなかなか満開にならない。あまり伸びすぎたので、春先にちょこっと剪定したのが影響したのだろうか。梅雨時に紫陽花に元気がない庭は、どこか物足りない・・・てなことをしみじみと感じるどんより曇り空の月曜の朝である。

 さて、湯上りの口先番長・前原君が、スッカラ菅君の脱原発を匂わせる動きを「ポピュリズム」と批判したそうな。さらに、「私も日本が20年先に原発をなくすことは賛成だ。しかし、振り子が急激に脱原発に振れた時、皆さんの生活が一体どうなるか考えるのが本来の政治だ」とも語っているのだが、20年先に原発をなくすことに賛成なら、いまから動きださなくちゃいかんのだよ。そのために何をなすべきか。それを語ることこそ、本来の政治なんだけど、そこはネグっちゃうんだよね、しょせんは何も考えてないからさ。 

 それにしても、スッカラ菅君のことはともかく、「脱原発」をポピュリズムって言っちゃうセンスは、政治家としては致命的な欠陥でありましょう。偽メールに躍らせされて、民主党をつぶしかけたことこそ、ホピュリズムに走った結果なんであって、そんな男にとやかく言われたかないやね。

 玄海原発再開に向けて、ケーブルテレビを使った説明番組が放映された。市民に対して、原子力安全・(不)安院と資源エネルギー庁の担当者が説明するって番組なんだが、驚いたことに、出演した県民7人は地元の広告代理店が作った候補者リストをもとにして政府が選出したんだってさ。出演した市民からは厳しい意見も出たりしたそうで、記者会見なんかも開いたようだけど、こういうやり方っていかにも市民参加ですよって謳っているようで、実は「ヤラセ」に近いものがある。

 本来なら、原発再開の説明会ってのは広く市民に声をかけて行われるべきなのに、それをやると吊るし上げ食うかもしれないから、ケーブルテレビで御用番組流すことで、あたかも市民に説明したかのような体裁を取り繕おうとしたんだろうね。でも、推進派にとって、原発ってそんなにもこそこそと策を弄さないとできないものなら、潔くやめちまったらどうだい。しっかりしたデータにのっとった説明があって、はじめて原発って論議の対象になるんだからね。ま、これまではデータより金を配ってたらよかったんだろうけど、これからはそううまくはいかんでしょ。なんてったって、命あっての物種、ってことがフクシマの人災事故で周知の事実になっちゃったんだから。「脱原発」を「ポピュリズム」と批判してはばからない、恥知らずな政治家には、何言っても無駄だろうけど・・・。

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