« ネット上の原発関連情報を収集・監視する資源エネルギー庁の姑息な手段。 | トップページ | 命を脅かすものに頼らなければいけないエネルギー政策なんてのはそれ自体が間違っている。 »

2011年7月16日 (土)

「原発は将来的にやめる方向は国民的合意だから、あえて『脱原発』を争点にする必要はない」っていう理屈ほど危ういものはない。

 牛肉に続いて今度はシイタケからセシウムが検出された。いやはや、放射能汚染はとどまるところを知らず、どこまで拡散していくことやら。それでも、厚労省が言うには、「基準値を超えた肉を数回食べても健康に影響はない」そうで、じゃ、「数十回食べたらどうなるの?」と突っ込みたくもなろうというものだ。そのうち魚介類の汚染も明らかになってくるんだろうけど、いずれ食べるものに苦労する時代がやってくるんだろうなと「将来に対する唯ぼんやりとした不安」を感じる土曜の朝なのである。

 で、スッカラ菅君なんだが、「脱・原発依存」は私的見解でしたって日和だしちまった。私的見解だろうが何だろうが、首相が記者会見で述べたことってのは公的な見解だと思うんだけど、学級会内閣にとっては言葉ってのはその場を取り繕うツールでしかないようだ。

 ほら、見たことかと反菅グループからは突き上げの声が聞こえてくるけど、彼らがよく言う理屈に、「原発は将来的にやめる方向は国民的合意だから、あえて『脱原発』を争点にする必要はない」ってのがある。とっちゃん坊やの川内博史君なんかものたまっているのだが、スッカラ菅君の「脱・原発依存」と同じ胡散臭さを感じてしまうのだ。そもそも、「国民的合意」って言うけど、そうしたコンセンサンスが成立してるっていう具体的な根拠は何なんだろう。ムードとしては、確かに「原発は将来的にやめる方向」にあるんだろうけど、それはあくまでも「ムード」にしか過ぎないんだよね。「国民的合意」と言うなら、それをちゃんと担保できる裏づけがなくっちゃ。マニフェストを何の説明もなしに反故にするような人たちが叫ぶ「国民的合意」なんてものに乗るわけにはいきません。簡単に裏切るからね、こやつらは。

 「国民的合意」を形成するのは、「今」なんだと思う。「原発は将来的にやめる方向は国民的合意だから、あえて『脱原発』を争点にする必要はない」んじゃなくて、「原発は将来的にやめるという国民的合意を確たるものにするために、今こそ『脱原発』を争点にすべき」なんだと思う。スッカラ菅君の思いつきだかなんだか知らないけど、方向性は正しい「脱・原発依存」をテコにして、「脱原発」の「国民的合意」を創出することこそ、とっちゃん坊やの川内君には期待したいけど、沖縄米軍基地のグアム・テニアン移転でも掛け声だけだったからなあ・・・。ようするに、「国民的合意だから、あえて『脱原発』を争点にする必要はない」なんて理屈は、原発推進派の思う壺なのじゃなかろうか、という危惧が拭いきれないのだ。

 実際、ギャンブル税なんてことを口走っているいるよごれ髪・与謝野君は、記者の「原発のリスクへの反省がないのでは」との質問に、「そう思っていただいて結構だ」とぬかして居直っているようだが、こんなのが内閣にふんぞり返ってるんだから、「国民的合意」もへったくれもありゃしないってのがよくわかる。

 そういえば、もんじゅ開発中止か、と期待させた20ミリシーベルト男・高木君がその舌の根も乾かないうちに、「中止なんて言ってません」と腰が砕けちまった。ま、20ミリシーベルトぐらいなら元気な子供たちには影響ないでしょうという能天気な御仁ですから、おそらく原子力村からちょいとプレッシャーかけられちゃって釈明会見なんてみっともないことをしちゃったんだろうということは想像に難くない。

 で、「もんじゅ開発中止か」というニュースに敏感に反応したのが、地元敦賀市の市長で、「高速増殖炉は、長い展望で見た時には必要。資源のない日本にとっては有益だ」とぬかしとります。高速増殖炉ってのは、水と触れると爆発する恐れのあるナトリウム使っているんだが、その維持・管理ってのは極めて難しい。技術的には一歩も二歩もリードしていたフランスですら、その困難さに音を上げて撤退しちゃった。そんに危険な原発に何兆円もつぎ込んでいるのは、いまや世界で日本だけです。そんな現状でありながら、「長い展望で見た時には必要」なんてことをよくもまあぬけぬけと言ってくれるものだ。ま、交付金目当てなんでしょうが、もう地元の雇用や財政で原発を語る時代ではないんだから、「おだまり!」なのだ。

 いずれにしても、スッカラ君の「脱・原発依存」を、党内コンセンサンスはとれていないから、ただの私的見解と言い放つ民主党幹部の姿を見る限り、とっちゃん坊・川内君たちの言う「国民的合意」ってのは絵に描いた餅にすぎないってことです。なんかねえ、いつまでも「モヤモヤさまぁず」してないで、もっと気合の入った「脱原発」宣言ってのをかまさないと、原子力村の策謀に押し切られちゃうかもよ。

|

« ネット上の原発関連情報を収集・監視する資源エネルギー庁の姑息な手段。 | トップページ | 命を脅かすものに頼らなければいけないエネルギー政策なんてのはそれ自体が間違っている。 »

原発」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「原発は将来的にやめる方向は国民的合意だから、あえて『脱原発』を争点にする必要はない」っていう理屈ほど危ういものはない。:

« ネット上の原発関連情報を収集・監視する資源エネルギー庁の姑息な手段。 | トップページ | 命を脅かすものに頼らなければいけないエネルギー政策なんてのはそれ自体が間違っている。 »