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2011年8月19日 (金)

原子力村には、「曲学阿世の徒」って言葉がよく似合う。

 ヴィクトワールピサが凱旋門賞断念。左後肢に跛行ということなのだが、平たく言えばちょっと足を引きずって歩いてる感じでしょうか。おそらく、疲労の蓄積が原因なのでは。治療に5週間ほどかかるらしいが、ここは無理をせず、じっくりと秋競馬まで調整してほしい。

 昨日のブログで、電気予報のいい加減さに触れたけど、東京新聞によれば関西電力の電気予報ってのは、節電期間に入った先月から昨日までで的中したのはたった7日なんだと。関西電力による今年の夏の最大需要予測は3138万kwで、これは猛暑だった去年の夏を上回る設定なのだとか。8月に入っての最大需要は9日に記録した2784万kwというから、予測とは350万kw以上の差があるわけで、やっぱり想像した通り電気予報の根拠となるデータがそもそも正確でなかったってことなんだね。つまり、電気予報ってのは悪戯に電力不足の危機感を煽るだけのツールであって、脅しの道具だったわけです。

 原子力安全・(不)安院の歴代院長6人のうち、5人が資源エネルギー庁に在籍した経験があり、「推進」と「規制」の立場を言ったりきたりしていたことが判明したそうだけど、これって裁判官と検事による判検交流によく似た構図ですね。しょせん、同じ役所に所属している組織なんだから、そんなこともあったんだろうな、と驚きもしないけど、いまさらのようにこうした事実が報じられることのほうがとても違和感がある。おそらく、記者クラブは知っていたはずで、知らなかったとしたら相当な職務怠慢です。で、そうした事実に疑問符を投げかけなかったことがよっぽど問題で、ようするにみんなグルだったってことなんだよね。

 ところで、天竜川川下りの遊覧船転覆事故で、静岡県警は業務上過失致死傷容疑で遊覧船運航会社を家宅捜査したってんだが、東電が野放しにされていることを考えると、その差はいったい何なのでしょう。生肉で食中毒起こした焼肉屋は倒産したけど、原発事故起こして放射能を世界中にばら撒いた東電はお咎めなし。それどころか、会社は倒れず、株主は保護され、あまつさえ税金で救済しようなんて馬鹿な状況になっている。遊覧会社に家宅捜査が入ることは当然のように報じるマスメディアも、東電の刑事責任については一切口を閉ざしたまま。これって、法の下の平等に反するんじゃないんでしょうかねえ。

 原発は国策なんだから、ってのが原子力村の言い分なんだが、よくもまあヌケヌケと自己弁護に奔走しているのが原子力学会だ。フクイチの「事故調査・検証委員会」に「個人の責任を追求するな」と声明を出したってんだから、どこまで恥知らずなんでありましょうや。東京新聞「こちら特報部」は、「ムラには有形無形の特権がある。ないのは恥の感覚だ」と原子力学会の御用学者を批判はしているけど、まったくもってごもっとも。調査される側が調査機関に大して、圧力まがいの声明を出すってことは、よほどばれると困ることがあるとしか思えないんだけど、普通は。

 それにしても、原子力村の住人ってのは、どうしてこうも専門家としての矜持ってものが欠如してるんだろう。「曲学阿世の徒」ってのは、こういう人たちのためにある言葉だったのかと天を仰ぐくろねこであった。

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