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2012年6月12日 (火)

福島第一原発事故をスッカラ菅君のせいにするための国会事故調査委員会。東電も調子こいて図々しくも社内事故調査報告書で菅批判

 我が家から自転車で20分もあれば行けちゃう水元公園の土壌から25万ベクレルの放射性物質が検出され、空間放射線量は1マイクロシーベルトを超えたそうな。東京都は調査・除染の検討をするそうだが、実はこれまでもけっこう高濃度の放射線が検出されていたんだよね。なのに、まったく対策を講じないで、休日にはイベントなんかもこれまで通りに開かれていたんだから、恐い話なのだ。葛飾区には水元公園以外にも、高濃度の放射性物質が検出されているスポットが所々にあって、区の広報にはその数値が定期的に公開されている。でも、どんなに汚染されていても無味無臭だから、いまひとつ危機感が鈍くなっちゃうのが現実なんだね。住宅や学校が立ち並ぶ区域にある緑地公園なんか、けっこう汚染されているって噂だけど、子供たちは毎日遊んでるからなあ。汚染に神経とがらせているお母さんを「放射能アレルギー」なんて貶める発言する政治屋もいるけれど、放射能汚染に関しては神経質すぎるくらい神経質になっても足りないくらいなんだということをもっと自覚すべきなのだと思う今日この頃なのだ。

 放射能ばら撒いた張本人である東電が、社内の事故調査報告書に「(首相の現場への介入)対応に要員が割かれ、無用の混乱を助長させた」(カッコ内はくろねこ)っていうスッカラ菅君批判を盛り込むそうだ。国会の事故調査委員会が「首相官邸の過剰介入が現場を混乱させた」っていう見解出したもんだから、調子づいてるようだね。スッカラ菅君になんでもかんでも押しつける国会事故調てのもロクなもんじゃないと思っていたら、委員長ってのは腹痛持ちの安倍内閣で内閣特別顧問やってたんだってね。だからどうしたってわけではないが、ま、ご報告まで。

 そんな国会事故調査委員会は、原子力安全委員会のデタラメ委員長からも「限界認めてくれてありがとう」ってお礼言われちゃいました。何を認めてもらったかというと、「公表遅れを批判された緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の活用は困難だった」ってことらしい。ようするに、SPEEDIのデータを使いこなせなかったのは、不可抗力で仕方なかったってことで、何のお咎めもなしってわけです。東電と同じく、調子づいたデタラメ委員長は「公表すべきとは思うが、公表したからといって(適切に)逃げる判断ができたかは疑問」なんてことぬかしてます。平たく言えば、「公表しても被曝したことに変わりはないから、結果として責任ないもんね」ってことです。人でなし。

 そのくせ、文科省は、福島第一原発事故後の3月15日にはSPEEDIによる予測結果を基にして、福島県浪江町の放射線量を測定していたっていうんだから、国会事故調の「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の活用は困難だった」という見解は嘘だってことです。活用困難どころか、文科省は大いに活用してたんだからね。

 国会事故調査委員会にしてこの体たらくですから、原子力委員会が原発推進派だけ集めて秘密集会開いていた問題の検証チームなんてのも、信用できたもんじゃありません。しかも、第三者による検証チームってならまだしも、すべて内閣府職員で構成されているってんだから、話にも何もなったもんじゃない。さらに、途中経過は非公開とくるんだから、それこそ秘密会議じゃねえか。うっとうしいのは梅雨空だけにしやがれってんだ・・・腹立たしさにも極まる火曜日の朝であった。

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レイチェル・カーソンの言葉 レイチェル・ルイーズ・カーソン(Rachel Louise Carson, 1907年5月27日 - 1964年4月14日)は、アメリカ合衆国のペンシルベニア州に生まれ、1960年代に環境問題を告発した生物学者。アメリカ内務省魚類野生生物局の水産生物学者として自然科学を... [続きを読む]

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