梨元さんとの思い出。
芸能リポーターの草分けだった梨元勝さんが亡くなった。それまで芸能人の広報としての機能しか果たしていなかった芸能ニュースに、ジャーナリズムの視点を導入したという意味で、梨元さんの功績は大きい。実際にお会いしたことはないが、一度だけ電話で話したことがある。それは、1985年のロス疑惑真っ只中でのことで、故三浦和義氏がつめていた銀座東急の一室でのことだった。
その日は朝から「三浦逮捕」の情報が流れ、銀座東急のロビーは報道陣でごった返していた。そんな報道陣の目を逃れるようにエレベーターに乗って、取材用に確保していたセミスイートの部屋に行こうと客室フロアに出ると、なんとそこにも忍者のように柱の影にへぱりついている報道陣の姿があったのにはちょいと驚かされた。確か、ドアをノックする時には合言葉を決めていたはずなのだが、一向に思い出せない。まさか、忠臣蔵ではあるまいし、「山」「川」ではなかったと思うのだが・・・。
それはさておき、物陰からうかがう報道陣の視線を背中に感じつつ、どうにか部屋にすべりこんだのだった。部屋に入ってしばらくすると電話が鳴り、一瞬部屋に緊張が走ったのだが、その電話が梨元さんからのものだった。僕が電話に出ると、「恐縮です」といつもの挨拶が聞こえた。「三浦さんはどんな様子でしょうか」といった当たり障りのない会話で、せいぜい1分くらいのものだったと記憶している。さすがに「逮捕間近か?」というニュースがTVでも流れはじめていたので、三浦氏は電話には出なかったが、いま考えると梨元さんは部屋の電話番号をどこで知ったのだろ。そのときは誰もそこに思いが至らなかったのだが、いまになってみれば不思議な話だ。梨元さんならではの情報収集力のなせる技だったのかもしれない。
梨元さんは並みの芸能リポーターと一線を画す「反骨」「反権力」の精神の持ち主でもあった。TV朝日のお昼のワイドショーのレギュラーだった頃、国民的な人気の某歌手のスキャンダルが持ち上がり局から圧力がかかるという事件があった。ようするに、某歌手の事務所サイドに気を遣った局の上層部が自主規制したのだと思う。そのことに敢然と立ち向かった梨元さんは、結局その番組を降板し、しばらくTV朝日には出演しなかった。その頃からだ、芸能人の単なる広報としてではない、芸能ジャーナリズムの片鱗を垣間見たのは。
芸能ニュースにスキャンダリズムを持ち込んだ竹中労ほどではないにしても、梨元勝という芸能リポーターは、もっと評価されてもいいのではないだろうか・・・合掌。
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