陸山会事件の判決は、まるで痴漢冤罪だ。
有罪の可能性もなきにしもあらずとは思ってはいたものの、昨日の陸山会事件の判決はそんな想像をはるかに超えていた。陸山会事件てのは、そもそも政治資金規正法における虚偽記載について争われていたはずなんだが、裁判所は水谷建設の裏献金まで認定、そればかりか「天の声」なんてことまで持ち出して建設業界との癒着にまで言及した。で、その根拠はとなると、これがすべて「推認」ってんだから呆れる。いやはや、恐れ入谷の鬼子母神とはこのことか。
そもそも、裁判てものは、「証拠に基づいた事実認定」が基本なんじゃないのか。法学部のなんちゃって学生だったくろねこは、確かそう教わった気がするぞ。状況証拠をどんなに積み重ねたって、たったひとつの具体的な証拠にはかなわない。判決では、「客観的証拠」なんて言葉も出てくるのだが、おそらく5000万円渡したという水谷建設の元社長の証言なんかのことを言ってるんだろう。でも、その証言を裏付ける証拠はないんだから、こんな理屈がまかり通ったら、誰だって犯人に仕立て上げられる。痴漢冤罪なんか、その典型だ。「さわったのはこいつです」って声を上げられたら、それで一巻の終わり。裏金渡したって証言も、これに似たようなもんです。
ようするに、政治資金規正法の虚偽記載だけじゃ、検察の思い描く小沢一郎抹殺の図式を成立させるにはインパクトが弱いから、起訴事実にない裏金疑惑をことさらに強調してあたかも重大犯罪であるかのごときイメージをひねり出したってことなんでしょう。それに裁判所が乗っかって、検察もそこまでしてくれるのかと驚くほどのゴマスリしたってことです。
落合洋司弁護士は、
直接証拠が乏しい中、判決は「知っているはず」「怪しい」という推測を多用し被告間の共謀関係など重要な部分を認定しており、背筋が凍るような思いだ。
推定無罪が原則である刑事裁判の判決は、被告が無罪になる可能性の芽を丁寧に摘む必要があるのに、考慮した跡が見られない。冤罪を生みかねないこうした論法がまかりと折れば、安心して社会活動ができなくなってしまう。
検察側は満足するだろうが、時代が逆戻りしたような判決だ。判決を慎重に評価すべきだろう。
と、東京新聞でコメントしていたが、おっしゃるとおりです。
マスメディアはこぞって鬼の首でも取ったように「政治とカネ」を声高に叫ぶばかりで、こうしたメチャクチャな判決に対して正面から疑問を投げかける姿勢が毛ほどもないのは嘆かわしいことだ。今回の判決は、小沢一郎が好きか嫌いかなんてこととは関係なくて、司法のあり方そのものが問われているんじゃないのだろうか。この判決を認めるってことは、冤罪に加担することに等しいと思うけどね。
これからは、証拠なんかなくったって、回りの証言や噂があれば、いくらでも犯人にされちゃうかもしれない。それくらい、恐ろしい判決だというのに、政治家の皆さんは、またぞろ証人喚問だなんだとほざいています。木を見て森を見ず・・・なんとまあ、ケツの穴の小さいひとたちなんだろう。
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