談志が死んだ&都内でもスロンチウム検出。それでも原発にすがりつく原子力村の「業」。
談志が死んだ。家元の落語に始めて触れたのは、確か高校2年。時あたかも、名著『現代落語論』に目からウロコの頃で、新宿の紀伊国屋ホールで開かれた『談志ひとり会』でのことだった。家元が飛ぶ鳥を落とすほどの水もしたたる旬の時代。ゲストに気障が売りでちょいとアウトローの色気漂う三遊亭金遊(1980年に急逝した後の4代目小円遊)が招かれていた。『笑点』の大喜利メンバーとして人気急上昇中の金遊とのトークは、TVでは話せないであろうエピソードの続出で、紅顔ならぬ厚顔の美少年にとってはとんでもなく刺激的だった。
そして、トリはもちろん談志の落語で、演目は「野ざらし」。じっくり語るところは語りつつ、ある時はダイナミックな身振り手振りをまじえた破天荒な所作に、「いやあ、アヴァンギャルドな落語ではあることよ」と一気に家元の虜になってしまったのだった。帰り際に、前列に座っていた初老の夫婦が、「小さんに比べたらまだまだだね」とささやきあっていたのだが。「べらぼうめ、その“まだまだ”の中にこそ、古き落語ファンにはけっして理解できないエネルギッシュな談志の叫びあるのがわからんかね」なんて小生意気なことを考えていたのを覚えている。
家元の落語は、6年前に亀有リリオホールで開かれた独演会で聞いたのが最後になってしまった。演目は、前半が「浮世床」、中入り後に「つるつる」で、若干声が出しずらそうな気がしたものの、気力・体力とともに、なにより落語にかける気迫が凄かった。仕事で実際にお会いする機会がなかったのが、いまとなっては残念だ・・・合掌。
さて、いまさらながらではあるが、東電が来夏の電力供給力が原発抜きでも大丈夫てなことを発表した。これまでも、原発がなくったって電力足りてるんだよね、って声はシロートのお気楽予測だけでなく、多くの心ある専門家からもあがっていた。マスメディアもグルになって、そんなことはありません、原発なくなったら大停電が起きて大変なことになりますよ、って煽ってきたネガティブキャンペーンのなんと虚しい結末だろう。
マイメディアは電力会社の原発安全キャンペーンに大きく加担してきたくせに、カタログハウスの「原発国民投票」というメッセージが込められたTVCMは、政治的な意見広告ということで放送を拒否しているってんだから、何をかいわんやなのだ。都内でも3ケ所からストロンチウムが検出されたという現実もあるってのに、それでも原発にすがりつきたいってのは、原子力村の「業」なんでしょうかねえ。家元じゃあるまいに、そんな「業」は肯定できゃしないけど・・・。
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